2026年(令和8年)4月23日
兵庫県弁護士会 会長 村 上 英 樹
1.政府は、いわゆる「インテリジェンス(情報収集・分析)機能」の強化に向けて、「国家情報会議設置法案」(以下「本法案」という)を本年3月13日に閣議決定して今国会に提出しており、本法案第1条では「重要情報活動及び外国情報活動に関する重要事項を調査審議する機関として、内閣に、国家情報会議を置く。」と規定されている。
自民党と日本維新の会の連立政権合意書では、「インテリジェンス・スパイ防止関連法制について令和7年に検討を開始し、速やかに法案を策定し成立させる。」とあり、かかる関連法制の第1弾となるのが本法案である。
そして、インテリジェンス機能の強化を訴えている自民党、日本維新の会、国民民主党、参政党などの各政党の説明内容からすれば、インテリジェンス機能の強化といわゆるスパイ防止法制とは一連の法制度として考えられている。報道によれば、政府は、本法案が成立すれば、今夏にも有識者会議を発足させて、スパイ防止法制などの具体的な検討に入る方針であるとされており、本法案は今後の関連法制の基礎となる重要なものとして位置づけられている。
2.ところで、一般的には、日本の主要なインテリジェンス機関としては、内閣官房内閣情報調査室(以下「内調」という)、防衛省情報本部、警察庁警備局(公安課、外事課、国際テロリズム対策課)、各道府県警・警視庁の警備局・公安部、公安調査庁及び自衛隊情報保全隊等があるとされている(注:日弁連の本年2月20日付意見書参照)。
そして、報道されている政府の説明や前記連立合意書の記載からすれば、「わが国のインテリジェンス機能が脆弱であり、インテリジェンスに関する国家機能の強化が急務であるという認識」から、本法案では、インテリジェンスの司令塔の強化を目的として、首相が議長を務め、関係閣僚等で構成される「国家情報会議」と、その事務局を担う「国家情報局」を設置し、従来は各情報部門の連絡調整の権限しか持たなかった内調を国家情報局に格上げして、各省庁の情報を集約して分析するための「総合調整権」を付与するほか、各省庁に国家情報会議の求めに応じて資料や情報を提供する義務を課することを内容としている。
3.この点、当会として日本においてスパイ活動がなされていないと主張するものではない。また、昨今の緊迫した海外情勢や日本を取り巻く様々な状況を踏まえ、情報を集約、分析して重要な国政運営に反映させる必要性や、国家の安全を脅かす不正な情報取得行為への適切な対策の検討の必要性があることは否定しない。
しかし、そもそも「インテリジェンス機能」なる用語の意味するところは明確性に欠け、「インテリジェンス機能の強化」の必要性を裏付ける事実があるのか自体に疑義があるから、法案審議においては、インテリジェンス機能が脆弱であり、その強化のための組織体制の整備の必要性を裏付ける立法事実があるのかという観点から慎重な審議がされる必要がある。
特に、インテリジェンス機能の強化、そのためのインテリジェンス機関の権限強化に伴って、市民の人権侵害の危険性があることは、歴史が教えるところであり、常に基本的人権の保障との関係について充分に慎重な検討がなされる必要がある。
すなわち、神奈川県警による日本共産党幹部宅盗聴事件(最高裁平成元年3月14日決定)、公安調査庁による元公安調査庁職員に対する監視・尾行(東京高裁平成16年2月25日判決)、自衛隊情報保全隊市民監視事件(仙台高裁平成28年2月2日判決)、大垣警察署による市民運動に関わる市民の情報を民間企業等に提供した事件(名古屋高裁令和6年9月13日判決)にみるように、インテリジェンス機関による市民のプライバシー権(憲法13条)、思想・良心の自由(憲法19条)、表現の自由・知る権利(憲法21条)、適正手続き保障(憲法31条)などの権利を侵害する行為が行われてきている。これら市民を対象とした情報収集などの違法行為は、秘密裏に行われてきたのであり、これが発覚したのは、全くの偶発的出来事によることから、これら発覚した案件も氷山の一角に過ぎない。実際にはインテリジェンス機関がどのような目的でいかなる市民を対象としてどのような種類の情報を収集しているのか、そのプライバシー侵害行為の実態は全てベールに包まれており、インテリジェンス機関の活動内容はブラックボックス化して、市民及び第三者機関による監視は全く及んでいない。
4.このような実態を放置したままで、更に、インテリジェンス機能の強化を図り、インテリジェンス機関の権限を強化することは、市民の基本的人権の保障上極めて憂慮すべき事態を招来することが懸念される。
したがって、本法案を審議するにあたっては、過去のインテリジェンス機関による活動の実態を明らかにするとともに、その活動実態を踏まえて、まずこのような人権侵害行為を禁止するための実効性のある規範を定めること、同規範の遵守を担保するため人権侵害行為の有無を調査し、勧告等を行うことのできる独立した監督機関(第三者機関)の設置が必要不可欠である。
しかも、憲法13条を巡るプライバシー権に関する研究も進展しており、AIを含む情報技術の発展によって個人情報の連結・分析から本人が未だ他者と共有していない私的情報が表出したり、本人の関与なく誤った属性や行動傾向などの人物像を描き出し識別されることによって、不当な選別・差別を受けたりするリスクが高まっていることが、プライバシー権を専門とする研究者らからも指摘されているところである。そして、行政機関の間における個人情報の収集、提供についても、ネットワークシステムによって個人情報が正当な範囲を超えて開示される具体的危険性がある場合には憲法13条で保障されたプライバシー権の侵害にあたるという理解にたち、システムの安全性(堅牢性)に関する慎重な審査を行う最高裁判例も示されている(住基ネットを巡る最高裁判決・平成20年3月6日第一小法廷判決、マイナンバー制度を巡る最高裁判決・令和5年3月9日第一小法廷判決)。インテリジェンス機能の強化を図り、行政機関の保有する情報を集約して分析するのであれば、このようなプライバシー権保障を巡る最新の専門的知見を踏まえた議論がなされなければならない。
5.したがって、当会は、市民の基本的人権の擁護を万全にする立場から、政府に対して、インテリジェンス機能の強化、インテリジェンス機関の体制整備を検討するに際しては、①過去のインテリジェンス機関の人権侵害の実態なども含めたその活動実態の調査、立法事実(必要性)を充分に検討するとともに、②情報技術の発展も踏まえたプライバシー権を巡る最新の専門的知見や最高裁判例などに則して市民のプライバシー権等の人権侵害行為を禁止する規範を定め、③規範の遵守を適切に監視・監督する独立した監督機関の設置など人権保障のための規定の整備を優先するように求め、④このような人権保障のための規定の整備や検討がなされぬまま、本法案が制定されることには反対する。
以上
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